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たぶんサッカーの話が多いです。

最高で最愛のサッカー指導者へ。

サッカークラブの監督ってのはとても難儀な職業だ。
うまくいっている時は「名将!」とポップで軽やかな評価を下され、うまくいかない時は「采配が~、戦術が~」と具体的でシビアな指摘が飛んでくる。結果が出ている理由には関心が向けられないが、結果が出ていない時にはすべての要素に疑念を向けられる。年功序列も定年退職もないから、円満な別れだって期待ができない。終わりを迎えるのはいつも悪い時期だから、去るときは寂しい思いを強いられる。
それはクラブ史上最長の4年半にわたって指揮を執ってきた田坂さんにおいても同様だった。
なにより「県民性」というものがあるのかどうかは分からないが、大分トリニータというクラブを取り巻く環境は「距離感」に厳しい。多くを語らない者、信念を曲げない者、迎合しない者、そして究極的には、服従しない者。はっきりとした味方はもちろん、明確な敵対者よりも「あいつ同僚なんだけど、いまいち絡みづらいんだよな」といった人の足を引っ張ろうとする。ネットや社内など僕が観測できた範囲の事象でしかないが、「結果が出ていないのに頭を下げようとしない」という言説が多くあがっていたことにも、そのような心性が表れていたように思う。
もっとも、そのような周りの評価にもほとんど惑わされない人だったからこそ、初めての監督キャリアにしてこんな地方の貧乏クラブで4年半もやってこられたのだろう。そして、それほどまでにストイックな人だったからこそ、悪い時期に安直な起爆剤を持ち込むようなギャンブルにも手を出さなかったのだろう。
思い返せばどのシーズンも、いかにも田坂さんのチームらしい道筋を辿ってきた。何もないところから着実に尖った集団を組織した11年、おぼつかない完成形でもセットプレーとフィジカルで上位にしがみ付いて奇跡の昇格を成し遂げた12年、すべての要素がわずかに足りずに降格してしまった13年、歴史的知見とセオリーをモダンに落とし込んだ14年、人材面であちらを立てればこちらが立たずを繰り返してきた今季。チーム状況の諸要素が生々しく試合に出てしまうくらいに、とても真面目な人だったし、とても誠実な監督だった。
田坂さんはこの4年半の監督生活を通じて、国内でもかなり名の知れたサッカー指導者になった。その一方で田坂さんは僕たちに、大分トリニータがいまよりもずっとどん底の状態だった4年半前には想像もつかなかったような世界を見せてくれた。
何度でも言うが、サッカークラブの監督というのはとても難儀な職業だ。そのような世界に足を踏み入れた人と、お互いにとって実になる経験を積むことができた。その事実だけでも、僕は田坂さんのことを優れた監督だと思うし、クラブにとってこの縁はとても素晴らしいものだったなあと思うのです。
田坂さんの今後の監督人生がより良いものでありますように。ありがとうございました。