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たぶんサッカーの話が多いです。

イェール大学の人はyellowをイェローって書くらしい

せっかくブログを始めたので、普段やっている読書記録もついでにやっていこうと思った。語学はどうした。

 読んだ。

 

概要

かつてイェール大学に学生および教員として在籍し、現在は日本で学習塾を経営する著者が、日本の教育環境を欧米の事例と比較しながら位置づけ、日本の子どもたちがどうやって生きていくべきか、ひいては未来の日本の子どもたちをどうやって育てていくべきかを指南する本。

メインのターゲットは10歳くらいの子どもを持つ親世代。子育て経験がないどころか、子を産むような予定もないけど、思うところがあったので読んだ。

 

気になったポイント

  • 教養(リベラルアーツ)は大事

時代の変化に直面しつつ、生き抜く力として本質的に重要なのは、新しい価値を発見したり、つくり出したりすることができる力です。その基盤、土台となるのが「教養」、それも、新しい時代に必要な教養です。(p.34)

  • 日本の教育には良いところと悪いところがある

日本では「読み書きそろばん」がまったくできない子はいない。このことは、日本にいると当たり前のように思えますが、けっこうすごいことなのです。(p.64)

学力テストの類で測れるのは「過去に学んできた達成度」であるということです。「未来に向けて社会全体を牽引するような、イノベイティブな力はそこには反映されていないということをふまえて冷静に見るべきです。(p.66)

  • 若いうちこそ古典を読め

 なぜ人生の早いうちに古典を読んでほしいかといえば、一生の間に何度もそこに立ち返って物事の意味を考える参照地点になるからです。(p.150)

日本の子どもたちを見ていて残念に感じることは、わからないことをすぐに拒絶してしまうことです。これは、大学に入ってからもそうです。そもそも、学問はわからないことに挑戦していく営みです。高い山の頂を眺めて、「こんなの登れない」と嘆くよりも、頂上まであと何メートルということを把握しながら、一段、一段登っていくことです。(p.156)

  • 既存各教科はどうすれば「学問」となるか

「小さな研究者」たちには、今日からでも、これまでの受け身で退屈な学習から、主体的に問いかける「学問」へと意識を切り替えてほしいと思います。昨日までと同じ教室で同じ教科書を使っていても、きっと昨日までとは違う景色が見えてくるはずです。(p.170)

 

感想

やる気があって、能力もある人が、そのせいで周囲から除け者にされるような現場を目にすることが多くなった。正確には、そのような現場に気付くことが多くなった。昔は自分が被害者であることもあれば、加害者になることもあったため、それほど意識することはなかったのだろうと思う。

全体の同調圧力を小さな力で消すことはできないので、解決策としては当人が強くなるか、適度にガス抜きできるようにするしかない。ただ、本書を読むことで、「能力があることも、やる気があることも、決して悪くないことだ」といった確信のようなものが持てるのならば、それは良いことなんじゃないかと思う。

大学時代の過ごし方について後悔をし始めるとキリがないが、まだ世間一般で見れば若いほうなので、きちんと「考える(=自らに「問う」)」ということを怠らないようにしたい。そして仕事という「表現する」場を与えられているのだから、学生時代にできなかったことも取り戻していきたい。

 

 追記

 「蛍光イェロー」という表記に矜持を感じた。

山形県出身者が「頭脳の減反政策」という言葉を使うのはなかなか当事者性がある。